田中角栄 【三億円事件】46年目の真相 東芝=日本信託銀=田中角栄の接点

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1 :マジックお尻(150209)φ ★:2014/12/10(水) 09:41:26.80 ID:???
 日本の未解決事件史上、最大のミステリーといわれる「三億円事件」が12月10日、発生から46年目を迎えた。
1975年の12月10日に公訴時効となってからも、39年の時間が経過したが、事件の概要はいまだ謎に包まれたま
まだ。数々の犯人説があるなか、今回、新たな犯人説が浮上した。驚くべきその内容をお伝えしよう。

●遺留品150点以上も残し時効になるなど考えられない

 動員された捜査員、16万人以上――。捜査対象者11万人、参考人32人、強制捜査1人――。 捜査費用9億
円――。前代未聞の人員と巨額の費用が投入されたものの、事件は迷宮入りした。
 1968年(昭和43)12月10日――東芝府中工場に運ばれる予定だった約3億円の従業員のボーナスを積んだ日
本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が、偽の白バイ隊員によって白昼堂々強奪された。
 わずか数分の、見事ととしか言いようのない強盗劇――だが、事件の細部を検証すればするほど、三億円事件の
非現実性ばかりが浮き彫りとなる。

(中略)

 事件直前の不可解な動きを整理してみよう。
 東芝は三井グループに属する企業であるにもかかわらず、なぜか前述の通り三菱グループの信託(昭和41年に三
菱銀行常務が就任し、後に三菱銀行と合併)と取引を開始。信託は三億円事件における被害銀行である一方で別の
顔も持っていたのである。
 1973年(昭和48)の国会で田中角栄の金脈問題が追及された際、信託から田中のファミリー企業への数千億円も
の疑惑融資の問題が表面化した。田中が大蔵大臣時代に三菱と信託の間を取り持ったとされ、信託の社長が田中の盟
友・小佐野堅司の会社で以前に監査役を務めていたこともあった。信託は政界と深い関係を持った銀行であり、前述
の疑惑融資を鑑みれば、田中の“ポケット・バンク”的な側面があった可能性もある。そして、田中は1966年(昭和4
1)12月に辞任した自民党幹事長の職に、3億円事件が発生する1カ月前の1968(昭和43)11月に復帰している。
 東芝府中と信託の取引開始が1968年……田中の幹事長復帰が同年11月……そして、同年12月に三億円事件が発生。

 複数の目撃者や前述した150点以上の遺留品があったことから、早期解決の空気が捜査陣には漂っていた。だが、
事件は早期解決どころか、迷宮入りという憂き目をみる結果となった。

 なぜ、犯人を逮捕できなかったのか?(後編へ)

■DMMニュース■
http://dmm-news.com/article/901911/

2 :名前をあたえないでください:2014/12/10(水) 10:43:12.77 ID:rxSpOLc0b
左翼対策の裏金つくりで後藤田が絡んでるとは思ってたが、
角栄の線だったか?

3 :名前をあたえないでください:2014/12/10(水) 14:29:04.44 ID:i4D4SJRQY
数千億が角栄に。東芝府中のみなさんのボーナスがトータル3億w

4 :名前をあたえないでください:2014/12/11(木) 09:15:32.73 ID:Yer0gR+zf
NHK見てないのに、受信料振り込ませるのも、ひどい事件だ。

5 :名前をあたえないでください:2014/12/12(金) 00:21:14.73 ID:ejav8Qi7D
>>2
チチモミじゃなく
カミソリのほうか


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